寝込んでる間にデカダンスについて考える。
去年から3度目の扁桃腺の腫れで寝込み中。。
現世の苦悩をのがれるためには、死ぬ事しかない。死ぬ事だけが快楽だ。
哲学者ヘゲシアス。
でも、論理的に極端まで飛躍するのは、日本人の気質にはふさわしくな
い。
たしかに、『よろずにいみじくとも、色このまざらん男はいとそうぞうし
く、玉のさかずきの底なきここちぞすべき。』
と言っているのは、隠者文学の第一人者、徒然草の兼好法師です。
ダンディズムとは、一種の精神主義であり、苦行である。
とはボードレールの言葉。
時代と共に美学は変化し、快楽主義と禁欲主義とが接近する事もある。
極端と極端は、どうしても似てくるもののようです。
表裏一体というやつですね。
終わりと始まりもそうだ。
井原西鶴の『西鶴置土産』では、遊び尽くした通人の、最後の理想が描か
れていて、それは私に、つげ義春の『無能の人』を彷彿させます。とても
退廃的な日本独自の美学だと思う。
太宰治も例外ではなく。
ヨーロッパでは、『ああ、青春を有してる間に、その青春を実現したま
え。退屈な連中に耳を貸したり、手もつけられないほどの失敗をなんとか
しようとしたり、無知の輩や凡庸の徒にきみの生命を与えたりして、きみ
の黄金の日々を使い果してはいけない。それらは現代の病的な目的、虚偽
の理想なのだ。
生きたまえ。
きみのうちにあるべくある驚くべき生を生きたまえ。
なにものも自分の身から奪われぬようにしたまえ。いつも新しい感動をさ
がしていたまえ。
なにものも恐れてはいけない。
新しい快楽主義ーこれこそ現代の求めるものなのだ。
イギリスのオスカー ワイルドの言葉。
さかしまとはさかさまの事で、文字通り、現実の秩序をひっくり返した反
世界のこと。
つまり人工楽園で、人間の知性と精神とが、どこまで自然に挑戦し、どこ
まで自然を征服しうるかという事を、このユイマンのさかしまは示してい
る訳です。
日本のデカダンスの様に、俳句を読み自然と親しみ、自然のなかに没入
し、精神と自然との境界線をぼやかしてしまう態度とはまるで違う。
きびしく自然と対立し、官能を研ぎ澄ませ、あくまでも肉体と精神の王国
を守りながら、そこに城を構築しようとする、不屈の精神が読み取れま
す。
人工楽園というのは、そういう意味です。
因みに人工楽園とはボードレールが作った言葉です。
西洋のバロック建築は確かに人工楽園のよう。
私はすぐ思考が飛躍し極論をとなえがち。そして退廃的なものや虚楽嗜好
に惹かれます、
たまには日本の美学に触れるのもいいかもですね。

永遠より、枯れていく様もまた美しい。。
YOSHiKO CREATiONの美学でもあります。

La nature morteは凄く好きです、人間を表しているから。




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